この案内図は下がほぼ北になっています。
新東工業(株)の正門横に建っています。
新東工業(株)正門横
新東工業(株)正門の横1枚の案内板を2枚に分割したものです。
写真右上は信長本陣跡のようですが新東名高速道・工事中のため確認
できませんでした。ここのすぐ北に秀吉陣地跡があります。
大宮川と付近の風景。
名和式「鉄砲構え」。
鉄砲構え
連吾川沿いの馬防柵。
右は土屋昌次が馬防柵に張り付き大声をだして戦死したといわれる。
中写真の石碑を拡大
連吾川沿いの馬防柵
写真中は「長篠城設楽原決戦場」の大きな石碑。右は決戦場付近の風景(断上山古墳)。
長篠城設楽原決戦場
市立東郷中学校の平成の馬防柵。
八剣山の全景。
八剣山と八剣神社
徳川家康本陣跡であった現在の八剣山の風景。左から「伊勢神宮遥拝所」石碑。石造り祠五基。
由緒が彫られた石碑。ここは重複しています。
松尾山(左)は徳川家康の嫡男、岡崎三郎信康の本陣地で、また岡崎三郎信康の妻は
信長の娘徳姫です。関連リンク:若宮八幡宮
織田信忠本陣跡の野辺神社(中)。左は野辺神社の遠景。
極楽寺跡。
平井神社。極楽寺跡から100m程南に平井神社(上左)。右は極楽寺跡。下左は平井神社
本殿。
平井神社。極楽寺跡
白山神社。
桃牛寺。
桃牛寺
宗堅寺。
宗堅寺境内左から片桐半衛門殿顕彰之碑。船長日記・小栗重吉真筆本発見の地。
船頭・小栗重吉
愛知県佐久島生まれ。部下の乗組員13名と共に師崎から江戸へ出航した。右端は信玄砲の説明板。
no.10⇒
関連:成福寺・船頭重吉の碑
関連:宗堅寺・真筆本発見の地。
宗堅寺
浄泉寺。
新城城跡(上左)。上中は城跡の石碑。上右は同地に建つモニュメント。
新城城跡
新城小学校地内に建つ太田白雪の石碑(中)と「城あと新城小物語」の石碑。
新城駅北の富永神社(上右)。七五三参いりの赤い幟が目立ちます。やっとの思いで夕日に
浮かぶ新城駅(上左)に到着、6時間半に及ぶゆったり史跡・社寺めぐりでした。途中次の
松尾神社まで車で案内してくださった同年のお父さん有難うございました。
鳳来寺、長篠城・設楽原古戦場 設楽が原古戦場と新城市 史跡あふれる新城市の旅(第三回目)
新城市:史跡・社寺めぐり医王寺〜満光寺 新城市:設楽が原古戦場 新城市南部:史跡社寺めぐり
新城市川路地区→鳥居→三河大野を訪ねる。 新城市作手地区の旅。
新城市(その1) 新城市(その2)
新城市(その3) 新城市(その4)
新城市(その5、満光寺・柿本城) 新城市(その6)
(その7、設楽が原) (その8、南部地区)
(その9、南部地区) (その10、作手地区)
(その11、作手地区)
(その12、作手地区)
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(その15、三河大野地区)
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