左は駅前、伏見通りから北、西高蔵〜金山方面。右は駅前、伏見通りから南、熱田神宮西(写真の森)
から伝馬町〜堀田方面を撮る。
熱田神宮と宮(七里の渡し)宿を中心とするこの地区の歴史遺産は広範囲で地下鉄駅も西高蔵、神宮西
伝馬町3駅に及び、さらに佐屋街道(美濃街道)、鎌倉街道、東海道もこの熱田神宮を通り、集まって
いるため。かなり重複して掲載しています。ご理解の上ご覧下さい。
熱田神宮・2022年1月10日(成人の日)午後4時頃撮影。
熱田神宮・2022年1月10日(成人の日)午後4時頃撮影。
新春初詣で旅
七五三お宮参り・熱田神宮第1部
七五三お宮参り・熱田神宮第2部
白鳥御陵下の御陵橋(左)。対岸の白鳥庭園。
法持寺の西隣
白鳥御陵
法持寺。西隣の白鳥御陵を鎮守とし、御陵の宝物を護持する寺として建立された。
また東海道を往還する文人墨客が多く立ち寄り、芭蕉、若山牧水などの歌碑も残さ
れている。昭和32年より30年間三保ケ関部屋の宿舎として名横綱北の湖が誕生
した。左の森は寺の西隣白鳥御陵。右は山門で両側に金剛力士木像が鎮座してい
ます。熱田神宮大宮司千秋家代々のの菩提寺でもありました。
由緒拡大
法持寺境内の弘法堂。リンク:法持寺
相撲の稽古に使用するすりこぎです(左端)。金剛力士木像(中左)。山岡荘八(中右)の句碑、
日本武尊の地を詣でた徳川家康、その大書を成し遂げた山岡荘八が祈願した際の句碑。右端は芭蕉
句碑。芭蕉の紀行文「野ざらし紀行」には、同寺で芭蕉、桐葉、若原叩端を連衆として三吟歌仙を
催した事が記されている。
30年間三保ケ関部屋の宿舎として史上最年少の横綱が誕生。境内の記念モニュメント。
みろく院。
龍珠禅寺(左)、法持寺の東にあります。全隆寺(右)曹洞宗、山号は大亀山(だいきざん)。
慶長元年(1596)、一説には元和年間(1615から1624)に尾張最初の永平寺直末寺院として創建、
開山した。1989年改築。この寺院熱田区役所説明文引用。
梅萼院(ばいがくいん、左)広大な寺域(現宮中学を含む)の法持寺境内の一部でした。右は福重寺。
駅から南西約400メートルにある本遠寺。
左は日行寺の本堂。リンク:日行寺
本遠寺境内にあります。市立は第三高女までありました。
成福寺(名古屋市熱田区)の境内に現存する「船頭重吉の碑」。
ウィキメディア・コモンズ経由で・船頭重吉の碑(文化年間に発生した督乗丸漂流事件の遭難者の慰霊碑。
名古屋市熱田区成福寺)
駅から南西約400メートルにある成福寺。関連:新城市・宗堅寺
リンク:船頭・小栗重吉
愛知県佐久島生まれ。
部下の乗組員13名と共に師崎から江戸へ出航した。
成福寺
no.10⇒
小栗重吉(船頭)
関連:成福寺・船頭重吉の碑
関連:宗堅寺・真筆本発見の地。
右:滝之寺:天台宗、山号は圓融山(えんゆうざん)。大永から永禄年間(1521から1570)頃、連歌師による
「滝之坊興行」で知られる。織田信長が幼時、この寺で手習いをしたといわれる。左:青衾神社(あおぶ
すま)、祭神:天道日女命 、仲秋の名月には青衾社祭 が行われます。
滝之寺/青衾神社
善福寺(左)。興徳寺。
聖徳寺。左下聖徳寺山門。
聖徳寺
熱田まつり(特集その1) 熱田まつり(特集その2) 熱田まつり(特集その3) 熱田まつり(特集その4)
白鳥庭園特集(その1)
白鳥庭園特集(その2)
白鳥庭園特集(その3)
白鳥庭園特集(その4)
白鳥庭園特集(その5)
白鳥庭園特集(その6)
白鳥庭園特集(その7)
神宮西駅(その1)| 神宮西駅(その2)| 神宮西駅(その3)
宮宿(1)|宮宿(2) 宮宿(3)|宮宿(4,七里の渡し場ムービー)
鎌倉街道(萱津宿),
鎌倉街道(萱津の東宿跡),
鎌倉街道(下中八幡宮付近),
鎌倉街道(米野村)
,
鎌倉街道(北一色村付近)
鎌倉街道(山王稲荷神社),
鎌倉街道(熱田神宮),
鎌倉街道(大喜寺付近),
鎌倉街道(井戸田町地内),
鎌倉街道(白豪寺付近),
鎌倉街道(鳥栖八剣社付近),
鎌倉街道(古鳴海八幡社)
地下鉄駅から ハイビジョン動画館
神宮西駅
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