左は駅前通りから東、新瑞橋〜八事方面。右は駅前通りから西、堀田〜伝馬町方面を撮る。
2022.01.14日撮影。
2022.01.14日撮影。
妙音通駅から北東へ300メートルにある龍泉寺です。誓願寺から東へ約2.8キロの
距離です。山門前にある亀井水(写真右)は源頼朝が熱田大宮司の館で生まれた折、
この亀井の湧水を産湯に使ったと伝えられ、東海地方屈指の名泉と言われた。またこの寺の横の道は鎌倉街道で
あったとされる。
龍泉寺と亀井水、2022.01.14日撮影。
2022.01.14日撮影。
下の写真の石碑を部分的に拡大したものです
駅から北東へ300メートルのところにある龍泉寺です。
山門前にある亀井水(写真右)は源頼朝が熱田大宮司の館で生まれた折、
この亀井の湧水を産湯に使ったと伝えられ、東海地方屈指の名泉と言われた。
またこの寺の横の道は鎌倉街道であったとされる。
鎌倉街道(木曽川町〜一宮市その1)
鎌倉街道(木曽川町〜一宮市その2)
鎌倉街道(稲沢〜甚目寺その1)
鎌倉街道(稲沢〜甚目寺その2)
鎌倉街道((東宿→熱田神宮西門その1)
鎌倉街道(東宿→熱田神宮西門その2)
徳重駅周辺案内(その2,鎌倉街道)
野並駅周辺案内(その2,鎌倉街道)
鶴里駅周辺案内(その1、鎌倉街道)
桜本町駅周辺案内(その1、鎌倉街道)
桜本町駅周辺案内(その2、鎌倉街道)
鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その1)
鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その2)
駅すぐ南へ入ったところに太政大臣藤原師長が
平清盛の怒りに触れ井戸田村に配流の身となった居宅跡です
師長は琵琶の名手で朝な夕べに京を偲んで弾じたと言う。後
に出家して妙音院と号したがこれが今の妙音通の地名の由来
だという。師長が帰京を許され土器野の里、(今の清音寺あ
たりか)まで見送った村長の娘と悲しい別れとなった。
藤原師長居宅跡
妙音通駅を横切る鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その1)も併せてご覧下さい。
山崎橋から
呼続の町並み(旧東海道)を見る。呼続〜笠寺を経て鳴海へ行く。
この橋の東北角に写真左の道標がある。風化がひどく見にくいが
「是より井戸田村へ」、南面は「是より師長」の字までは判別でき
るがあとは読めない。また橋より約300メートル南へ行った東側に
熊野三
社がある。山崎城主佐久間信盛が山崎村並びに付近一帯の
住民の守り神として寛永4年(1627年)ここに再建した。
10月7,8日と祭礼が行われている。
駅から南へ約500メートル、
旧東海道沿いの熊野三社前から見た山崎の長坂である。
(当時はもっと急な坂だったと言われる)熊野三社を通り抜け、
名鉄名古屋本線の歩道橋を渡ると山崎城跡の安泰寺がある。
旧東海道山崎橋と南詰の道標、なぜか頭部が欠けている。2010.11.30
山崎橋、
旧東海道(宮宿、熱田区七里の渡し)
旧東海道(熱田神宮)
旧東海道(熱田区裁断橋)
旧東海道(宮一里塚)
旧東海道(瑞穂区松田橋)
旧東海道(南区呼続、山崎橋、山崎城址西)、
旧東海道(南区呼続、白豪寺東)、
旧東海道(南区呼続、富部神社東)、
旧東海道(南区笠寺付近)、
旧東海道(緑区丹下地区)、
旧東海道(緑区鳴海宿)、
リンク: 帝國博物学協会 尾張国・山崎城跡の安泰寺
妙音通駅
インターネット地図検索サービス
「るーとMap」で、行き先までの道順を調べよう