東海道五十三次四十番目、池鯉鮒(知立その1)


広重、池鯉鮒、首夏馬市


広重画検証:この付近を描いたもの。国道1号線から斜めに別れて東進すると池鯉鮒(知立)
の松並木がある。この当たりの野原で馬市が開かれ賑わった。 池鯉鮒(知立)の松並木


旧東海道・東栄町交差点から東へ明治川神社交差点間の松並木。


来迎寺一里塚、南北が揃って現存するのは貴重な存在、左南側、右は北側。 来迎寺一里塚


2010.11.30撮影


ここから知立宿。この 案内板の場所。脇本陣跡があった場所。


知立宿へ入る手前、国道1号線を斜めに横切る街道の両側にある松並木です。


松並木の途中にある句碑。


左:知立古城跡。右:問屋場跡はホテルクラウンパレスの前。


脇本陣の標識がなくこの付近ではないか。山車が格納されています。


旧東海道・本町筋(写真右)を西へ行くと突き当たり、右折し左に
知立古城跡を見て了運寺(写真左)の前で桝形道路になり、北へ下
り坂となり知立神社に着きます。


知立古城址。 知立古城址


知立神社拝殿前にあります。 知立神社


知立神社多宝塔。


知立神社の西約100メートルにある竜宮門の総持寺。於万の方(長勝院)の生誕地で、徳川家康
の次男である松平秀康の母。関連:小督局 総持寺


池鯉附宿・本陣跡。 池鯉附宿・本陣跡。


1870年本陣の向かい側にあった脇本陣の玄関を地蔵堂にして小松寺(名鉄
知立駅前)に移転しましたが更に最近駅前再開発により残っていた地蔵堂も再
度全部移転の小松寺(駅から北に1.5キロ)に移されました(下の写真左)。


小松寺境内の脇本陣・地蔵堂の南隣にある旅籠「山吹屋」の主(祖風、徹堂)の
墓(上記写真黄色矢印)。


知立市内の旧東海道1997.11.6撮影


知立市内の旧東海道1997.11.6撮影


知立古城史跡の記念碑と現在の宿場風景


知立神社境内に建つ多宝塔 普通は寺院に
建っているのですが珍しい建物
当時の歴史の一端を垣間見る1997.11.6撮影


江戸から80番目の刈谷一里塚跡,1号線一里山歩道橋たもとにあります。
黄色の矢印、高さ60cm位のモニュメント。 知立一里塚跡

池鯉鮒(知立)その1 池鯉鮒(知立)その2

次は鳴海宿 熱田参りじゃ
次は岡崎宿(お江戸日本橋へ)

53次愛知県の巻 55箇所 トップページ

トップページ   リンク:名古屋鉄道 旅行・観光