豊田神明社。右はトヨタ町南交差点からトヨタ自動車本社方面を撮る。
豊田神明社由緒。
豊田神明社
愛宕神社(左)。右は愛宕神社から見る鴛鴨城址(おしかもじょうし)。愛環鉄道・永覚駅へ移動して
その13を続けます。
愛宕神社
右は現在の三味線塚古墳。三味線塚の名前は三味線の名手であった玉音(16歳)の
悲恋の伝説を・・・・・リンク:
玉音哀歌・三味線塚伝説。
遺跡説明文拡大
上写真左は遺跡発掘の様子。右は神明遺跡から見る豊田ジャンクション東北側。
。
遍照寺。
遍照寺
左から2枚富士塚古墳(案内、遺構なし)。山神社跡。庚申堂。いずれも約100m以内にあります。
富士塚古墳
糟目春日神社。
境内の夫婦の樹
汐差神社説明板と並んで建つ「郷社糟目春日神社之跡地」の碑。
汐差神社
鳥狩塚遺跡(左)。「持統天皇鳥狩記念」と彫られています(右)。
説明板拡大
鳥狩塚遺跡
遺跡案内板の位置を教えてくださった上、豊田大塚古墳から豊田記念病院まで車で案内して下さい
ましたお父さん本当に有難うございました。
豊田大塚古墳。古墳全体の大掛かりな工事が行われています。
豊田大塚古墳
豊田市10回目の訪問は豊田市東部の古瀬間城址から松平郷地区の大給城址他を訪ね岡崎市へと旅しました。
浄願寺。
古瀬間城の由来と見張り櫓(左)。豊田市街が一望できます。浄願寺の裏山にあり城址公園となっています。
古瀬間城址
古瀬間城址。
古瀬間城縄張図拡大
こせま城址歌碑の里(右)。長勝院(於万の方)とも言われた
関連:長勝院(於万の方)の墓があります。小督局と
呼ばれた方は史上3人いらっしやったようです。
益富地区源氏ホタル及び碑石拡大
大窪遺跡。国道301号線左側に大きな遺跡の看板がでていましたので予定には無かったですが
見過ごすわけには行かないのが本サイトの使命、歩く身には距離が書いてないのが不安でしたが
行けども草むらに入り到達できず予約時間の
「松平ともえ号」に不安を感じ引き返してしまいま
した。距離の掲示があったらと思いました。リンク:
大窪遺跡
中垣内古屋敷(居館)。武田家の落人、小幡氏の子孫である宇野安左衛門の屋敷跡といわれる。
中垣内古屋敷
徳山寺。リンク:徳山寺。
寺下のバス停の位置を尋ねたら、次の奥殿陣屋前まで送って下さったお兄さん
有難うございました。
徳川家康公の先祖・松平郷(豊田市)を訪ねるわくわく旅
第2部
豊田市3回目の史跡・社寺めぐり
豊田市内散策
猿投・小原地区史跡社寺めぐり
小原〜石野地区を訪ねて
豊田市内散策(その2)
豊田市上郷方面を旅する
豊田市南部の史跡・社寺めぐり
豊田市東部から岡崎市北部の旅
豊田市西北部史跡・社寺めぐり
リニモ:八草駅から藤が丘駅まで夜間乗車
豊田市(その1、旧足助町)
豊田市(その2、旧足助町)
豊田市(その3、松平郷)
豊田市(その4、松平郷)
豊田市(その5)
豊田市(その6)
豊田市(その7)
豊田市(その8)
豊田市(その9、猿投地区)
豊田市(その10、小原地区)
豊田市(その11)
豊田市(その12)
豊田市(その13)
豊田市(その14)
豊田市(その15)
(その16)
(その17、下山地区)
(その18、下山地区)
(その19、稲武地区)
(その20、則定地区)
(その21、則定地区)
(その22、旭町)
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