秀吉公尾張中村から京都〜大阪城まで(その11・大阪城)

Osaka Castle 02bs3200
ウィキメディア・コモンズ経由で・大阪城, 大阪府大阪市中央区
大坂城
Korozu
ウィキメディア・コモンズ経由で・航路図(本絵図の中央部に大坂城が描かれている)/
神戸市立博物館蔵

Osaka-zu byobu
ウィキメディア・コモンズ経由で・豊臣期大坂図屏風に描かれた大坂城と城下の賑わい。

Osaka-zu byobu Gokuraku-bashi
ウィキメディア・コモンズ経由で・豊臣大坂城の極楽橋(豊臣期大坂図屏風)。
橋の両側の板塀や上層の楼閣外壁の彫刻などがルイス・フロイスの描写と合致する。
慶長元年(1596年)に造られた橋だが秀吉没後の慶長5年に豊国神社に移築された[20]

Osaka Castle Keep tower of 
「A figure of camp screen of the Osaka summer」
ウィキメディア・コモンズ経由で・大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守

OsakaCastle-IshiyamaHonganjiTemple-Monument
ウィキメディア・コモンズ経由で・石山本願寺推定地

Osaka Castle 05s5s4272
ウィキメディア・コモンズ経由で・千貫櫓、多聞櫓


右:大手門。リンク:大坂城公園地図


左:大手門前から千貫櫓を撮る。 千貫櫓


大手門を潜ると升形となり正面に巨石が目に飛び込んできます。


右:大坂城天守閣。左:大坂城外堀。大阪城を築き天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の生涯を
ねねの出生地と共に偲んで,生まれ故郷の名古屋から大坂城までの 「東・中・美-環状歴史・出世街道」
ひとり旅はここで完結いたします。ねねの出生地を訪ね始めて13年 の歳月(この間東海道
53次、美濃路、中仙道を旅する)がかかってしまいました。2012.11.28記。

Battle of YaoWakae ja
ウィキメディア・コモンズ経由で・Image of ja:八尾・若江の戦い the part of ja:大坂の役

Osakarakuzyou
ウィキメディア・コモンズ経由で・『大阪落城大戦図』、木村重成、後藤基次ほか

戦国大戦 群雄伝 大坂の陣 豊臣の章 第七話 「若江・八尾の戦い」
八尾・若江の戦い

H?koku Shrine (Osaka)
ウィキメディア・コモンズ経由で・豊國神社 (大阪城)
豊國神社 (大阪市)


大坂城前。生国魂神社お旅所跡拡大 生国魂神社お旅所跡


法円坂建物群 法円坂遺跡説明拡大 法円坂建物群


日吉丸→木下藤吉郎→豊臣秀吉 ねねの生誕地


秀吉の母・大政所(なか)宅址。

大坂城朝の外堀風景

太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その1) 太閤・秀吉公 尾張・美濃史跡めぐり(その2)

(その3) (その4) (その5) (その6) (その7、関が原合戦特集) (その8、天王山山崎合戦特集)
(その9、天王山山崎合戦⇒淀城跡⇒伏見・指月城跡まで) (その10、京都市内御土居から妙顕寺城跡まで)
(その11、大阪城)

太閤・秀吉公さま 史跡めぐり(近江・長浜城)
京都(その1)京都(その2) 京都(その3山科地区)
  京都(その4聚楽第跡,市内特集)  京都(その5東福寺紅葉特集)
京都(その6、建仁寺から円徳院まで第1部)
京都(その7、高台寺から豊国神社まで第2部) 太閤・秀吉公さま史跡めぐり(最終:京都〜大坂城)

関連:関が原合戦陣所跡 中仙道(垂井宿その1) 中仙道(垂井宿その2) 中仙道(垂井宿その3)

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