リンク:干支:和暦・西暦・早見表
【文久3年以降 (1863〜)はこちら】
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別名:出世街道とも言う |
名古屋城二の丸庭園内(中区)にあります。織田信長はここで誕生しました。
信長天下取りのスタート、原点である平手政秀邸址(北区平手町志賀公園内)
政秀なくんば郷土三英傑の出現も疑問ではなかろうかとも記されています
いずれも中村区中村公園内にあります。
徳川家康幼時幽居地(熱田区)。今回訪問時には史跡跡地は綺麗に更地となっていました。
2013.2.13撮影。出生地は岡崎市
数奇な運命にもてあそばされた徳川家康人質交換之地(南区笠寺観音境内)
説明文は下部が合成写真です。
加藤清正誕生地。秀吉誕生地から約150m、東南です。
前田利家誕生地(中川区),稲生の戦い、
海津の合戦、
森部の戦で功績を挙げ、
出世街道を突き進んだ。
あおなみ線荒子駅前に完成した前田利家像。前田利家19歳(稲生原古戦場)
萱津の古戦場跡
池田恒利の屋敷跡。妻の養徳院は織田信長の乳母でした。
関連リンク:大垣城主・池田恒興
永林寺。昔この付近は山となっていて、本尊薬師仏が祀られていた。清洲城にいた信長公に
狼煙をあげて名古屋の様子を知らせていたといわれる。また永林寺の秘宝として、不動尊が
伝わっている。関連:永林寺
明徳寺境内の柴田勝家出生地(名東区)
佐々成政出生地(西区)と光通寺境内。
丹羽長秀邸跡(西区)とすぐ北の児玉白山稲荷社。
信長を大将に、すぐ近く児玉の丹羽長秀、3キロ上流比良の佐々成政、
荒子の前田利家、
1キロ強南の中村の秀吉など少年時代のガキ大将の群れが枇杷島河原を暴れまわり、闘争
心を学び全国へ出世して行った姿は400年経ったいまも何か心がわくわくしてきます。
そして彼らを支えた「ねね」は地元、
「まつ」も2キロ圏内(七宝村)に生まれた。
出世街道:美濃路に誇りあれ。
2017.1.3日再度訪問時にはこの一角は消滅していました。
名古屋城の信長、中村の秀吉など少年時代のガキ大将の群れが暴れまわった
現在の枇杷島河原。
庄内川、枇杷島河原
豊臣秀吉誕生地
清洲城
古渡城
末森城
万松寺
山内一豊
家臣、佐々成政
重臣、丹羽長秀
重臣、柴田勝家
重臣、滝川一益
長島城跡
東・中・美-環状歴史・出世街道(第1部) (第2部) (第3部)
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