|
|
別名:吉例街道とも言う |
右は安土駅南にある城郭資料館と文芸の郷にある「信長の館」。
中仙道・武佐宿と安土城跡の旅第1部(162.8mb)
第2部(mb)
安土城址へ登る石塁。
中仙道・武佐宿と安土城跡の旅第1部(162.8mb)
左写真歩道橋階段下。大津城縄張推定復元図拡大
大津城跡
リンク:ウイキペデイア
大津城の戦い
聚楽第。安土桃山時代の末期、豊臣秀吉が建てた政庁兼邸宅である。竣工して8年後に取り壊されたので、
分からないことも多く、まぼろしの御殿でした。本サイトは秀吉が出世街道を駆け上がり、その一環と
して生誕(名古屋市中村区)から生涯を終えるまでを史跡(ここは石碑ばかり)を通じてカメラ
リポートいたします。京都・聚楽第跡特集
リンク:Wikipedia・フリー百科辞典
左:「ねねの道」。右は「ねねの道」:道標。
円徳院内の北政所(ねね)化粧御殿跡。関連リンク:「ねね」出生地、
円徳院の庭園と「ねねの道」。
北政所門前町。北政所を愛する人々が集う場所と記されています。
北政所門前町
方広寺。方広寺鐘銘事件で、家康により、難癖、イチャモンをつけられた釣鐘です。これにより、
豊臣家は一気に大坂冬の陣、夏の陣により滅亡への道を突き進むのです。鐘に鋳込まれた銘『国家
安康』『君臣豊楽』『右僕射源朝臣家康公』が問題となった事件でした。鐘銘文字はリンク:
大坂の陣:ウイキペデイア
参照してください。関連:丸子宿・誓願寺
豊国神社。
豊国神社説明文拡大
。
右:大坂城天守閣。左:大坂城外堀。大阪城を築き天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の生涯を
ねねと共に偲んで生まれ故郷の名古屋から大坂城までの
「東・中・美-環状歴史・出世街道」
ひとり旅はここで完結いたします。ねねの出生地を訪ね始めて13年
の歳月(この間東海道
53次、美濃路、中仙道を旅する)がかかってしまいました。2012.11.28記。
稲置街道(名古屋市内その1)
稲置街道(名古屋市内その2)
稲置街道(小牧宿その1)
稲置街道(小牧宿・史跡小牧山 特集)
稲置街道(楽田)
稲置街道(犬山宿その1)
稲置街道(犬山宿その2)
稲置街道(犬山宿その3)
地下鉄駅(名古屋)からいらっしゃいませ
東・中・美:環状歴史・出世街道
名古屋ハイビジョン動画館
新幹線のお得なツアーから海外旅行まで取り扱うJR東海ツアーズ