中仙道往環・美濃路の旅(大垣宿第1部) 中仙道往環・美濃路の旅(大垣宿第2部) (大垣城)
「奥の細道むすびの地」にある芭蕉と木因の銅像。伊勢へ旅立つ芭蕉とそれを見送る木因
(右写真)の像です。 川を下り伊勢神宮へ向かう途中、大智院で下船、信宿しました。
関連:長島・大智院
美濃路:大垣市「奥の細道」結びの地
南千住駅前に建つ松尾芭蕉の像。
クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。
ウィキメディア・コモンズ経由で・詳細『三日月の頃より待し今宵哉』(月岡芳年『月百姿』)松尾芭蕉
ウィキメディア・コモンズ経由で・「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良(森川許六作)
ウィキメディア・コモンズ経由で・大垣市 奥の細道むすびの地記念館
奥の細道むすびの地記念館
「奥の細道むすびの地」記念館(市総合福祉会館内)の北側にある句碑群。
毎年市民から選ばれた句が記念として刻まれています。
大垣市ホームページ:奥の細道むすびの地 芭蕉と大垣
正覚寺境内にある芭蕉・木因の遺跡。
左は正覚寺境内の芭蕉・谷木因の句碑・句塚など、谷木因の墓もあります。右は愛宕神社(船町)、
大垣駅東,錦町にも同名の神社があります。
愛宕神社前から美濃路(西方)を写す。右は向かい側の水神神社前バス停の「芭蕉元禄の街」を撮る。
31号線塩田橋手前を左折し美濃路を西南へ行くと旧塩田橋、大垣市景観遺産指定・杭瀬川の
塩田常夜灯が目に入る。
塩田常夜灯下の道標(是より養老公園道)と刻まれている。左は杭瀬川の塩田港あたりを写したもので、
常に20〜30隻の船が停泊してたという、この景色では全く想像出来ません。右岸は養老公園道。
旧塩田橋を挟んで建つ秋葉神社。左が橋の東。この付近で賑わった商家は今は一部取り壊され寂しい限りです。
塩田橋を渡りしばらく歩くと右に長源教寺、左はお寺付近の町並み。
谷汲山常夜灯と杭瀬川右岸堤防。
谷汲山常夜灯を左折し西へ進むと久徳一里塚、両側あればもちろん国史跡でしょう。
白髭神社と付近の町並み。境内池の底から水が湧き出ている。
工業用地下水の使用量が減ったため、地下水位が上がったといわれる。
美濃路(直進)道標を左折し長松城跡を訪ねる。竹中半兵衛重治の従弟源助重利の居城。
長松町(立源寺北)道標
荒崎小学校南側。ここから道標まで戻り美濃路(直進)する。
美濃路(直進)道標の手前約50メートルの立源寺。
道標で左折、右側に南宮大社元鳥居址の大きな石碑が2本立っている。
道標からすぐ近く右側。俵町薬木広場の飯沼・銅像と東南角にある飯沼邸跡
慈應寺。
大垣市は水と芭蕉句碑があふれる街の印象がさわやかでした。
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