境川左岸堤防道路は中世の鎌倉街道で、美濃路と共有となっている部分がある(左鎌倉街道。
右下り坂は美濃路)。西方寺まで「従是東五丁」と刻まれた坂井の道標と2体の小さな地蔵尊が見える(左写真)。
東小熊一里塚跡。境川左岸堤防にあります。
境川左岸堤防道路にある秋葉神社。
美濃路・墨俣宿を訪ねて墨俣1夜城に寄らない訳にはゆかない。
本陣跡から天守閣が見える桜並木(右写真)の新犀川堤防を約200メートル北へ行く。
左写真赤い矢印は金華山・岐阜城である。
太閤出世橋。
本陣跡の真向かいには高札場跡があり ポケットパークとなっています(写真右)。ここから約3キロ南に9年前
取材した前田利家(勘当を解かれ出世の礎となった)森部古戦場がある。
墨俣宿の本陣跡と付近の街並み、西(大垣)方面を撮る。この本陣は慶長5年(1600)関が原合戦の時
伊達政宗が宿泊したと伝えられ、伊達様本陣と呼ばれたという。
墨俣宿:本陣跡
本陣跡から西へ約100メートルにある。
墨俣宿の脇本陣は大垣市景観遺産に指定されている。
右、本正寺の山門は脇本陣(左、写真)の門を移築したものである。
美濃路から脇本陣先を南に入ると六寺院が隣り合う寺町界隈、大垣市景観遺産に指定されている。
寺町3寺院が向き合う町並み。
満福寺。
脇本陣から更に西へ歩いて右側の津島神社。琉球使節通行記念灯篭(左写真)があります。
宿場街道が突き当たり、電気店を右折し北へ直進すると、この社で堤防へ上がり西進する。
東結(ひがしむすび)一里塚跡。馬頭観音と並んでいます。
今日(2011.12.13)の旅はここで終わります。
今日(2011.12.21)の旅は上記の東結(ひがしむすび)一里塚跡からスタートします。
輪中の堤防を西に行くと県道171号線と交差、角に木製の大きな道標があり「歴史の道 鎌倉街道 美濃路
縁結びの結神社 照手姫ゆかりの町屋観音堂(左)」と書かれています。
町屋観音堂前の説明板、拡大合成したものです。
町屋観音堂の先を右折すると結神社(下記に由来)があります。観音堂前の美濃路を直進すると
佐渡(揖斐川)の西結び渡し場ですが全く痕跡がありません。この場所から美濃路(大垣宿その1)
対岸(大垣市)を望む(左写真)。
結神社由緒拡大
さざれ石の由来。
街道から南へ約3キロ外れた森部の合戦跡。前田利家出世の森部の合戦。
森部の合戦・薬師堂
森部の合戦跡から更に南へ約6キロ:真福寺は1240年代に羽島市大桑町大須に土地の人達
により建立された。左端は本堂両側にある菩薩像。現大須観音(名古屋)移転前の発祥の地。
真福寺説明拡大1
真福寺説明拡大2
羽島市大須・真福寺
美濃路(大垣宿その1) 垂井宿へ行く 美濃路(墨俣宿その1)宮宿へ行く
中仙道往還:美濃路の旅(名古屋宿第1部) 中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第1部)
中仙道往還:美濃路の旅(清須宿第2部) 中仙道往還:美濃路の旅(萩原宿→起宿)
中仙道往環・美濃路の旅(大垣宿第1部) 中仙道往環・美濃路の旅(大垣宿第2部)
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