代官所址。慶長20年4月大阪夏の陣、この佐屋から船出した徳川軍が勝利を
収めた吉祥の地とされ、その後佐屋御殿、船番所、奉行所、代官所など次々と
設けられて、この地方の民政と治安に貢献したと記されている。
代官所址
山頂の広瀬城跡碑(中)。左は碑と隣接する広瀬神社。
広瀬城跡
鴛鴨松平氏墓所(中)。左端は榊原清長 ・ 長政の墓。
鴛鴨松平氏墓所
鴛鴨松平氏先○之碑
鴛鴨松平氏墓所地内にあります。関連リンク:貞祖院
古瀬間城の由来と見張り櫓(左)。豊田市街が一望できます。浄願寺の裏山にあり城址公園となっています。
古瀬間城址
徳川家康渡船之所。永禄3(1560)年5月1日「桶狭間の戦い」で、今川義元討死を聞いた家康公は、
大高城を脱し、鳴海から知立を経て、配津村の神退より、配津村の船頭半三郎の船で矢作川を渡り、
無事岡崎・大樹寺に着きました。時に家康18才でした。
徳川家康渡船之所
上野上村城址。上郷護国神社境内にあります。関連リンク:田原城址。
関連リンク:榊原康政・徳川四天王
上野上村城址
八幡社前の案内板。上右は名古屋方面、上左は岡崎方面を撮る。
八幡社前案内板場所
本多平八郎忠勝誕生地。徳川四天王の一人。
またここは西蔵前城があったとされます。
本多平八郎忠勝誕生地
井田城址。徳川四天王の一人・酒井忠次は大永7年(1527年)井田城内で出生。
井田城址
大樹寺本堂(左)大樹寺は松平家・徳川将軍家の菩提寺で、歴代将軍の等身大の位牌を見ることが
できます。
大樹寺沿革1
大樹寺案内
大樹寺
大樹寺境内の熊野権現社(左)。大樹寺総門(右)。
大林寺。
旧東海道矢作橋西にある勝蓮寺。ここに矢作一里塚があったとされますが
全く痕跡がありません。
長瀬八幡宮。家康公大軍を率い関が原へ向かう途中、馬を下り夜中歩いて戦勝を祈願したと
記されています。
長瀬八幡宮
徳川家300年の礎を築いた先祖・松平親氏公の松平郷
徳川家康公 愛知史跡めぐり(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
(その7)
(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
徳川園第1部 徳川園第2部 第16回春姫道中第1部 1:東照宮夜桜
奉祝・新元号第1部 「金シャチ横丁」第1部 第2部 国定公園その2
徳川家康公の先祖・松平郷(豊田市)を訪ねるわくわく旅 第2部 豊田市東部から岡崎市北部の旅
名古屋城本丸御殿完成記念号(第1部) (第2部) (第3部)
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