妻籠宿案内板を撮ったものです。
左写真は三留野宿(みどのしゅく)の北の入り口付近、木曾川としばし離れてゆるい坂を登ると
宿場の建物が見えてきます。
左写真の撮影場所
旧旅籠の屋号を掲げた家が立ち並んでいる三留野宿の街道。
三留野宿脇本陣。
三留野宿脇本陣跡。
円空はこの頃南木曽に滞在して仏像造りに励んだと書かれています。写真左から境内の円空堂、
等覚寺、本堂の順です。円空佛の説明
等覚寺
等覚寺隣の三留野地区の鎮守様・東山神社(右)。下記の園原先生はこの神社の神主も勤められ
ました。途中に木製の丸い柱に彫られた手の中に入りそうなごく小さな木像(左端)と付近の風
景(中)。
「蛇抜け」で知られる山の斜面に建つ宿場にはこんな川水路が何本も見られます(中)。
左は常夜灯、右は梨子沢橋付近から見た南木曽町。
街道から寄り道して桃介橋を渡る(中)。橋の中央あたりから河川敷へ降りる階段があります。
橋の中央から南木曽町を撮る(左)。上流の木曾川激流を撮る。
桃介橋
桃介橋
福沢桃介記念館。名古屋人として名古屋発展の基盤を築いた電力王・福沢桃介の記念館、
邸宅跡を訪ねないわけにはまいりませんと街道から離れて桃介橋を渡り邸宅跡を訪ねま
した。
関連:文化のみち「二葉館」関連:貞照寺
内部の見学
福沢桃介記念館
桃介橋と対岸(国道19号線)から見る桃介橋
蛇ぬけ(山津波、土石流)の石碑の上に犠牲者3人の霊を慰める「悲しめる乙女の像が建って
います(写し損ね)。蛇ぬけの碑文
「白い雨が降るとぬける 尾先 谷口、宮の前 雨に風が加
わると危い 長雨後、谷の水が急に 止まったらぬける 蛇ぬけの水は黒い 蛇ぬけの前にはきな臭
い匂いがする」。左は伊勢小屋沢この沢の奥の伊勢山(1373m)は大正12年まで伊勢
神宮式年
遷宮の御用材を伐採搬出しその名を残すとされています。
蛇ぬけ石碑横の巨石に埋め込まれた「夕べの歌」碑文です。
今回は南木曽駅(なぎそえき,左)から馬籠峠下の男滝・女滝までバスで行き、そこから妻籠宿まで歩く
予定ですが発車まで2時間を利用して三留野宿の前半を訪ね後半は次回馬籠峠から馬
籠宿まで下る予定でその時後半をリポートします。写真右は駅前の宿場ポケットパーク。
昨24年長野県宝に指定されました。現在、20数代目の後裔が居住されています。
左端は庭に飼育されている緋鯉です。
園原先生碑文拡大
ここから後半のリポートです。
南木曽駅南付近から伊勢山(1373m)の山頂を撮る。伊勢山(1373m)は
大正12年まで伊勢神宮式年遷宮の御用材を伐採搬出しその名を残すとされています。
D51機関車が置かれているSL公園。ここから急坂の神戸(ごうど)坂を約300mほど
登り山道を歩きます。庭木の美しい神戸(ごうど)の家並みを過ぎるとかぶと観音に着きます。
SL公園
上左かぶと観音像。上右は観音像と並んで建つかぶと観音堂。木曽義仲の兜の八幡座を祀ったのが
始まりといわれます。又境内には義仲腰掛石も保存されています。
関連:義仲館・巴渕
かぶと観音説明文
下左は巴御前振り袖の松。
かぶと観音から伊勢山方面を撮る(左)。右は袖振りの松、表題の広重画の場所と思われます。
上久保一里塚、今も両側に残る一里塚。
上はせん沢の川ダムと道標。下は一里塚から坂を下る左側にある良寛さまの歌碑。
トップページへ 中山道・69次 ハイビジョン動画館