国道19号線に立つ宮ノ越宿の案内板(北入り口)。
宮ノ越宿の案内板
権兵衛峠を越え伊那へ行く街道の分岐でもあり、道中の霊を弔うために庚申塔はじめ多くの石碑が
立てられています。
庚申塚。
吉田洞門横には中山道の歩道が作られています(左)。吉田洞門の上に旧中山道(高巻)が
ありましたが現在は閉鎖され通行できません。右は道中の旅姿を描いた19号線の大壁画。
吉田洞門撮影場所。
木曽義仲館。
新着情報・新装なった栄地下街・義仲館
新装なった栄地下街・義仲館名古屋・栄に設置されました。
中山道・宮ノ越宿
徳音寺山門。
徳音寺
徳音寺境内の巴御前の乗馬姿の銅像。
徳音寺参道(左)と仁安3年(1168)、義仲が母小枝御前を葬った寺で、源義仲一族の菩提寺です(右)。
関連:国指定史跡:大津義仲寺
徳音寺境内の説明案内板。
徳音寺境内の「お泣き地蔵尊」の標柱(右)と石碑(左)。
この淵に棲む竜神が巴に化身して義仲を守り続けたという伝説。
鉄の赤い橋を渡りすぐ右にあります(左)。中は巴渕と刻まれた道標。
巴渕の川の流れは穏やかでなんとなく神秘的に感じます。
巴渕の風景。
贄川宿及び宮ノ越宿
有栖川宮御休所跡碑(中)。前の街道右が江戸方、左は京方。
明治天皇御小休跡碑(中)。右脇本陣問屋跡。左は付近の街道風景。
「明治天皇宮越御膳水」の碑。
宮ノ越宿・田中家住宅。
宮ノ越一里塚跡(中)。左:江戸方。右は京方。
宮ノ越一里塚跡から手習天神までの間に庚申塔、道祖神などの石仏群1。廿三夜碑は木曽路に
多く見られますが遅い月の出を拝み、豊作などを祈る昔から伝わる信仰です。
宮ノ越一里塚跡から手習天神までの間に庚申塔、道祖神などの石仏群2。
中山道中間地点の標識道標(中)。中間地点の江戸方の街道風景(左)。中間地点から
駒ケ岳を撮る(右)。
中山道中間地点から約150m南の19号線日義木曽駒高原「道の駅」の構内にも
「中山道東西中間之地」の道標(右)が立っています。左はすぐ横の駒ケ岳夕照の碑。
駒ケ岳夕照の碑の隣、木曽駒冷湧水。
手習天神。
薬師堂(右)。左は中原兼遠屋敷跡付近から駒ケ岳を撮る。
薬師堂の由来
中山道から少し外れて案内標識のあった中原兼遠屋敷跡を訪れて「義仲元服の松」を撮る。
巴御前は兼遠の娘でこの屋敷で生まれました。さて手習天神から福島宿の冠木門まで約2キ
ロくらいかな。今日は中原兼遠屋敷跡を最後に19号線をひた走りに走り帰ります。予定の
3分の2位消化しました。
宮ノ越一里塚の次の出尻一里塚跡について。 リンク:出尻一里塚跡の石碑除幕式
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