下(した)街道(善光寺街道・多治見)

「日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰りにこの道を通った」と言う伝説があり、
街道としての歴史は古い。土岐川(愛知県は庄内川と呼びます)は、川底が浅く急流であった
ために水運が起こらず、陸路としての下街道が発達した。公人ではない一般の旅行者には規
制はなく、名古屋方面からの御岳参りや善光寺参り、木曽方面からの伊勢参りなどの利用者
が多かったため、善光寺道、伊勢道とも呼ばれた。以上:ウィキペディアより引用。宿場名
は池田宿と呼ばれ、現池田町が宿場として賑わいました。


津島神社の祠と街道。 津島神社の祠


池田・常夜灯(左)と付近の街道(多治見駅方面、右)。池田町屋郷土資料館ガイドに
よりますと旅籠:6軒、茶屋3軒、米屋:5軒、陶器関係:5軒などありました。
池田・常夜灯


池田・常夜灯から約100m南に建っています。


永泉寺。永泉寺文化財説明拡大 永泉寺


JA前に立つ道標。左写真は名古屋・伊勢道。「左:なごや・いせ道 右:東京・ぜんこふじ
(善光寺)」と彫られています。右写真はJAの支店。 JA前の道標


清水の地蔵。左は土岐川(愛知県に入ると庄内川と呼ばれます)に架かる多治見橋。
清水の地蔵


左:虎渓道の道標。右:かっぱ市広場。ながせ通りにて。


左:ながせ通り東入り口の「下街道」標識(黄色矢印)。右:多治見橋北詰に建つ「鰻塚」碑と道標。


多治見橋北詰めに立つ道標と鰻塚と掘られた石碑。道標は左:○光寺、右:○戸だけ判読、
推測をして定光寺、釜戸でしょうか。右は多治見橋南交差点。


「おりべストリート」西入り口風景。左は「下街道」の案内行燈。


下街道に戻っておりべストリート風景。


おりべストリート(はなやぎのまち)三景。


おりべストリート(はなやぎのまち)風景1


おりべストリート(はなやぎのまち)風景2


おりべストリート(はなやぎのまち)風景3


「下街道」東入り口の行燈。(左)。右:唱行寺へ行く。


下街道からやや外れて史跡を訪ねました。多治見国長居館跡。


西浦庭園内部(左)と明治天皇行在所跡の石碑と庭園玄関(中)。


左:東濃の歴史資料蔵。右:新羅神社拡大。説明文拡大


秋葉山・常夜灯(右)。左は常夜灯のある交差点。 秋葉山・常夜灯


唱行寺(左)。多治見の鎮守の森・神明社。 神明社


生田橋から東町交差点間、坂の街道。 坂の街道


左から19号線東町交差点から200m東付近。中は大洞峠の道標のあった場所と
される付近、探したが見当たらない(中写真のぼり付近)、市役所横に移転となっ
ているそうです。右は交差点北の蔵春寺。 蔵春寺

下街道(善光寺街道・多治見) 下街道(善光寺街道・多治見(その2)

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