出雲大社教(左)。右は馬頭観音・泥地蔵と街道。
街道から目に入る珍しいつり橋(左)。以前通学路として作られたといわれる。右は
つり橋から中央線、瑞浪トーカイカントリーゴルフの山並を撮る。
宝珠禅寺。
土岐川沿いの県道から左の坂を上がった桜の木立場跡(案内、標識が見当たらない)があった
付近の街道(左)。付近の馬頭観音、常夜灯(中)。緋桜の歌碑と思われますが碑文が判読で
きませんでした(右)。
桜の木立場跡
境橋手前の馬頭観音と妙見宮(左)。境橋たもとの観音像(右、恵那市)。
境橋たもとの観音像
いとう鶴の称号で恵那市竹折で江戸時代から続く酒蔵でした。右は伊藤敏博画伯生誕地
のモニュメント(黄色の矢印)。伊藤敏博は岸田劉生に師事し、また当地の素封家とし
て岸田劉生らを支援し交流を深め、幾多の受賞の栄誉の碑文(判読しにくい)。
庚申塚(右)と庚申堂(左)。
中央線ガードを潜ってすぐ右側の馬頭観音2体。
馬頭観音2体
武並神社。
武並神社
長福寺(左)と向かい側にあるはずの道標(右 なごや 左 ふじ)が見当たりません。
何か文字が刻まれているようなので勝手に掲載しました(中)。右は付近の街道。
瑞現寺。街道から左へ上り坂上にあります。山門は
名古屋・末盛城の櫓門を移築したと云われる。
街道右側高い石垣の上に庚申堂(右)と境内の庚申塚。
秋葉神社(右)と街道の町並み。左下はjr武並駅。
秋葉神社
福寿寺、妙見宮(右)。常夜灯のある町並み(左)。
明治天皇竹折小休止所跡の碑。高貴な天皇ご一行がこんな山中を旅されたとは現代人には想像も
出来ないです。随行員や行き交う人などどんな様子だったか知りたいものです。
車の激しい19号線を横断して山道を歩く。槙ケ根追分まで約600m地点の標識。上の写真は
標識付近の街道。
約600m地点の標識
槙ケ根追分まで約200m地点の標識(中)。中山道まで200mの緩やかな上り階段(右)。
左は国道19号線へ行く下り坂の下街道。約200mで下街道(善光寺街道)は中山道と
(下の写真・槇ケ根追分)つながりましたのでここで旅は完結いたします。
槇ケ根追分。ここから分かれ坂道を下り(左)、上記右の写真と200mで結ばれ
名古屋・伊勢へと向います。