岡崎城。
東照公産湯の井戸。
竹千代橋から天主閣を撮る(左)。竹千代通りに建つ竹千代の石像。城内には「石都・岡崎
名産の御影石と優秀な職人で造り上げた石像が多くあります。
竹千代橋
岡崎城大手門前の「徳川家康公生誕の地」の標識(左)。同じ門前の「岡崎城下東海道
二十七曲がり」のモニュメント。
岡崎城大手門。
三河武士のやかた家康館。リンク:やかた家康館
大手門と二の丸付近の風景。上写真は岡崎城二の丸御殿の井戸。
撮影場所
岡崎城内庭園、松の木の向こうに天守閣が見えます。
「御城下舟着場跡」の石碑。
菅生川(乙川)の河川敷と五万石船の船着場跡
六所神社。
六所神社楼門。説明文拡大
六所神社本殿工事中のため完成時の絵が描かれた垂れ幕。
岡崎指定文化財&社記
岡崎宿
岡崎宿(その2)
徳川家康公ゆかりの地めぐり
豊田市東部から岡崎市北部の旅
岡崎市・真福寺から乙川河川緑道まで
岡崎市・西部方面めぐり旅
岡崎市・中央部から東部の史跡めぐり
岡崎市東部から南部方面を回り岡崎市を終わります。
岡崎市(その1) 岡崎市(その2)
岡崎市(その3) 岡崎市(その4)
岡崎市(その5)
岡崎市(その6)
岡崎市(その7)
岡崎市(その8)
岡崎市(その9)
岡崎市(その10)
岡崎市(その11)
岡崎市(その12)
岡崎市(その13)
岡崎市(その14)
岡崎市(その15)
岡崎市(その16)
岡崎市(その17)
松平郷史跡観光案内図。
松平東照宮・八幡神社。
国指定史跡「松平氏遺跡」。
桜馬場跡の北に隣接しています。。
産湯の井戸。松平元康(後の徳川家康公)が岡崎城で生誕の折、この井戸の水を竹筒に
詰めて速馬で運んだ記録があると記されています。左は水神八幡、うぶの八幡とも呼ばれています。
松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)公の銅像。親氏の天下泰平の願いは松平氏九代の徳川家康によって
実現されたと刻まれています。写真右上は産湯の井戸境内の親氏公願文の碑です。
松平郷館(左)。右は天下池。
天下池説明文拡大
。
笠掛けの「かえで」と見初めの井戸跡(右)。左は天下茶屋の東に復元したと記されていますが
確認出来ず。写真は北側を撮ったものです。
説明文拡大
冠木門の天下茶屋(右)。左は高月院へ行く室町塀の参道です。
リンク:天下茶屋
天下茶屋
高月院へ行く参道、室町塀越しの右側に散策路がありますがその風景を撮ってみました(帰路)。
天下茶屋の案内板拡大
豊田市(その1、旧足助町)
豊田市(その2、旧足助町)
豊田市(その3、松平郷)
豊田市(その4、松平郷)
豊田市(その5)
豊田市(その6)
豊田市(その7)
豊田市(その8)
豊田市(その9、猿投地区)
豊田市(その10、小原地区)
豊田市(その11)
豊田市(その12)
豊田市(その13)
豊田市(その14)
豊田市(その15)
(その16)
(その17、下山地区)
(その18、下山地区)
(その19、稲武地区)
(その20、則定地区)
(その21、則定地区)
(その22、旭町)
徳川家康生母「於大の方由緒の地」記念碑。
刈谷市(その1) 刈谷市(その2) 刈谷市(その3) 刈谷市(その4) 刈谷市(その5) 刈谷市(その6) 刈谷市(その7)
名鉄線犬山橋南たもとにある「内田の渡し」と常夜灯。次回は次の鵜沼宿に向かいます。
内田の渡し説明
内田の渡し
稲置街道はここ鵜沼宿(中山道)で分岐・合流し名古屋、京都へ。左は
大安寺川橋
から見る街道東方面。
小牧市〜犬山市: 史跡・社寺めぐり 犬山市:史跡・社寺めぐり(その1)
犬山市(その1)
犬山市(その2)
犬山市(その3)
犬山市(その4)
犬山市(その5)
犬山市(その6)
犬山市(その7)
犬山市(その8)
福泉寺。浄土宗西山深草派の寺院で、小説『人生劇場』で名高い文豪・尾ア士郎の文学碑と今東光
(こんとうこう)の墓碑銘、尾ア士郎氏の墓所があります。吉良公や仁吉の生き方に深く傾倒し、
郷土愛と人情に深い郷愁を現したと言われます。
尾崎士郎氏碑文
源徳寺。
源徳寺
源徳寺本堂(左)。吉良仁吉之墓(中)。
吉良仁吉墓説明文1(右)
吉良仁吉墓説明文2
関連:鈴鹿市・観音寺。
西尾市
西尾市・社寺めぐり
幡豆海岸車窓風景
西尾市・史跡、社寺めぐり2部
西尾市・幡豆町〜
吉良町めぐり、
西尾市(その1) 西尾市(その2)
西尾市(その3) 西尾市(その4)
西尾市(その5) 西尾市(その6)
西尾市(その7)
西尾市(その8) 西尾市(その9)
西尾市(その10)西尾市(その11)
西尾市(その12・佐久島)
愛知のてっぺんついに到達!!豊根村 愛知のてっぺんついに到達!!豊根村(その2)
戦前名古屋から知多半島へ行く入り口として、名鉄線すぐ際までの伊勢湾の美しい
海岸線と山上にひと際目だった聚楽園大仏を忘れることは出来ません。下は聚楽園
駅車窓から最近(2017年)撮ったものです。
飛島村役場(左端)。写真のように周囲は水田で、店舗も住宅もありません。北に飛島村総合体育館
その北に小・中一貫校飛島学園が併設され、公共交通は鉄道は無く、飛島村ではコミュニティバスと
して飛島公共交通バスが運行されており、蟹江町の近鉄名古屋線 近鉄蟹江駅や、名古屋市港区の名古屋
市営地下鉄名港線 名古屋港駅・築地口駅、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線 稲永駅に乗り入れている。
聞けば全地域が市街化調整区域となっています。
しかし伊勢湾岸道路、国道23号線、環状302号線、県道西尾張中央道と四方に囲まれた車の通行台数は
日本一でしょう。
飛島村役場
ウィキメディア・コモンズ経由で・名古屋港の臨海工業地帯。中央左が飛島ふ頭。
手前は弥富市の鍋田ふ頭。
ウィキメディア・コモンズ経由で・飛島ふ頭のコンテナターミナル
金城埠頭西岸壁から飛島コンテナ埠頭(飛島村、キリンの姿の鉄骨)を見る。
飛島村には三菱重工のH2Aロケットを造る名古屋航空宇宙システム製作所飛島工場のほか
トヨタ自動車、川崎重工、中部電力などの工場、施設などがあります。
関連:
H2Bロケットとプラネタリュームを見る
H2Bロケットとプラネタリュームこのロケットがここ飛島村で造られています。
縄文ニタ股遺跡。石碑横面には「石鏃出土」と彫られています。
縄文ニタ股遺跡
不乗森神社(のらずのもり)。上左は境内の幸福釜2基。
説明文拡大
。
不乗森神社。
不乗森神社本殿(右)。左は境内の神猿の像。碑文には「昔より鎌倉街道に沿い往来する人々はうっそうとした社頭に
下馬し旅の安全を祈願して通行したのでのらずの森といわれました」と彫られています。
安城市(その1) 安城市(その2)
安城市(その3) 安城市(その4)
安城市(その5) 安城市(その6)
安城市(その7) 安城市(その8)
池ノ原公園。
池ノ原公園
渡辺崋山池ノ原幽居跡(上右)。上左「崋山先生玉砕之○」と刻まれた大きな石碑。
上中は渡辺崋山銅像。公園内モニュメントの碑文拡大
「蛮社の獄」「生誕」
「立志」「報民倉」
崋山神社。写真中は中小路通りから田原城を撮る。
崋山神社
田原市(その1) 田原市(その2) 田原市(その3) 田原市(その4)
国重要文化財・船頭平閘門。左が木曾川側閘門と閘室。中は標識のある長良川側の閘門上。
右は長良川へ出る水路。
船頭平閘門
ちょうど運良く閘門を通過する小船に出会いました。右は木曾川側で水位の調整(閘室)
を待っているところ。左は足元の長良川閘門を通り長良川側へ抜けるところです。待つ
時間と通行料を払うなら河口まで回って行った方がと質問したら河口まで13キロ余、
しかも無料ですといわれ、驚きと運営する組織(国)に感銘を受けました。明治35年
以来約114年間(取材時)、日本のパナマ運河として今もご覧の漁船、レジャーボートが
無料で往来する国重要文化財です。
治水の恩人「ヨハネス・デ・レーケ」の銅像と閘門の説明図。
常滑市(その1)
常滑市(その2)
常滑市(その3)
常滑市(その4)
常滑市(その5)
常滑市(その6)
常滑市(その7)
常滑市(その8・大野海水浴場)
コロナ下・半田まつり2
コロナ下・半田まつりを収録
小牧市〜犬山市: 史跡・社寺めぐり 犬山市:史跡・社寺めぐり(その1) 犬山市:史跡・社寺めぐり(その2)
犬山市(その1)
犬山市(その2)
犬山市(その3)
犬山市(その4)
犬山市(その5)
犬山市(その6)
犬山市(その7)
犬山市(その8)
稲置街道(犬山宿その1)
稲置街道(犬山宿その2)
稲置街道(犬山宿その3)
稲置街道(楽田)
松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)公の銅像。親氏の天下泰平の願いは松平氏九代の徳川家康によって
実現されたと刻まれています。写真右上は産湯の井戸境内の親氏公願文の碑です。
写真をクリックで徳川家康公 愛知史跡めぐりへ行きます。
松平郷入り口から左側にずらり並ぶ三つ葉葵の幟「終りなき 夢のはじまり 松平」。
右は国道301号線の松平郷入り口。
松平郷入り口
下記の桜馬場の南に植えられたばかりです。
楓の木
松平郷桜馬場跡。上写真2枚は桜馬場跡の隣接地です。
松平郷史跡観光案内図。
松平東照宮・八幡神社。
国指定史跡「松平氏遺跡」。
桜馬場跡の北に隣接しています。。
産湯の井戸。松平元康(後の徳川家康公)が岡崎城で生誕の折、この井戸の水を竹筒に
詰めて速馬で運んだ記録があると記されています。左は水神八幡、うぶの八幡とも呼ばれています。
松平郷館(左)。右は天下池。
天下池説明文拡大
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笠掛けの「かえで」と見初めの井戸跡(右)。左は天下茶屋の東に復元したと記されていますが
確認出来ず。写真は北側を撮ったものです。
説明文拡大
冠木門の天下茶屋(右)。左は高月院へ行く室町塀の参道です。
リンク:天下茶屋
天下茶屋
高月院へ行く参道、室町塀越しの右側に散策路がありますがその風景を撮ってみました(帰路)。
天下茶屋の案内板拡大詠み人知らず。
徳川家康公の先祖・松平郷(豊田市)を訪ねるわくわく旅
第2部
豊田市3回目の史跡・社寺めぐり
豊田市内散策
猿投・小原地区史跡社寺めぐり
小原〜石野地区を訪ねて
豊田市内散策(その2)
豊田市上郷方面を旅する
豊田市南部の史跡・社寺めぐり
豊田市東部から岡崎市北部の旅
豊田市西北部史跡・社寺めぐり
リニモ:八草駅から藤が丘駅
まで夜間乗車
豊田市(その1、旧足助町)
豊田市(その2、旧足助町)
豊田市(その3、松平郷)
豊田市(その4、松平郷)
豊田市(その5)
豊田市(その6)
豊田市(その7)
豊田市(その8)
豊田市(その9、猿投地区)
豊田市(その10、小原地区)
豊田市(その11)
豊田市(その12)
豊田市(その13)
豊田市(その14)
豊田市(その15)
(その16)
(その17、下山地区)
(その18、下山地区)
(その19、稲武地区)
(その20、則定地区)
(その21、則定地区)
(その22、旭町)
新城市:史跡・社寺めぐり医王寺〜満光寺 新城市:設楽が原古戦場 新城市南部:史跡社寺めぐり
新城市川路地区→鳥居→三河大野を訪ねる。 新城市作手地区の旅。
新城市(その1) 新城市(その2)
新城市(その3) 新城市(その4)
新城市(その5) 新城市(その6)
(その7、設楽が原) (その8、南部地区)
(その9、南部地区) (その10、作手地区)
(その11、作手地区)
(その12、作手地区)
(その13、吉川地区)
(その14、川路地区)
(その15、三河大野地区)
「見晴らしの丘」へ行く散歩道の案内。全国各地代表の梅の木が植えられています。
佐布里池の風景1
。
佐布里池撮影場所
子安大師像下のラバーズヒルから見下ろす三河湾の絶景。
竹島海岸より竹島を撮る。
木下恵介監督・竹島橋記念碑。
竹島南端・龍神岬(右)の松。左は竹島橋。
竹島南端・龍神岬
海辺の文学記念館。
説明文拡大
文学記念館案内
海辺の文学記念館
右は三河・不相城があったとされる跡で現在は観光ホテルが建っています。左は竹島水族館。
館前にあった世界一周ヨット「エリカ号」は撤去されていました。
竹島と対峙して建つ蒲郡生みの親・藤原俊成卿像(下写真、黄色の矢印)。藤原俊成卿は
また平安時代の代表的な歌人で百人一首の詠み人でもありました。
船町高札場跡から
ラグーナテンボス
ラグーナテンボス
西部から竹島までゆっくり旅
竹島遊歩道
蒲郡市史跡:社寺めぐり
蒲郡市(その1) (蒲郡市その2) 蒲郡市(その3) 蒲郡市(その4) 蒲郡市(その5・三谷祭)
朝日に浮かぶ上陸大師像。大井の石黒氏提供の写真です。
富士山を撮影された大井の石黒氏提供の写真です。
富士山を撮影された大井の石黒氏提供の写真です。
関連:高根山烽火台跡。
亀崎高根山烽火台跡。
長尾山烽火台跡。
布土(ふっと)烽火台。
大井烽火台跡
師崎烽火台跡
師崎遠見番所
師崎烽火台跡
遍照寺。知多新四国霊場第三十六番札所。本尊に弁財天を祀る(下、右)知多四国八十八箇所
唯一のお寺です。上右:山門。上左:第三十六番弘法大師堂。下左は道中安全御手引大師堂。
南知多 三十三 観音霊場会・遍照寺
遍照寺/神護寺/延命寺
延命寺山門と鐘楼(左上)。
延命寺には、明治から大正期の小説家が逗留している。
ひとりは、明治期の小説家・小栗風葉。 尾崎紅葉に師事し、『金色夜叉』の続編を書き上げるなどで活躍。
小説『無為』『極光』など、延命寺書院で執筆活動をしたとされている。もうひとりは、大正期の小説家
広津和郎。 広津和郎自身が父親が病気療養する師崎を訪れ、羽豆岬などを散策した心象が、 小説『崖』
で描かれている。(抜粋記事)
リンク:四国直伝弘法・延命寺
内海海岸(日本渚百選 に選出)世界屈指の砂粒が細かい風紋鮮やか
野間灯台 母なる海、歴史とロマンの 伊勢湾総集編 第2部・伊勢湾総集編
南知多町大井〜羽豆岬まで 日間賀島〜篠島 小さな旅(第1部) 日間賀島〜篠島 小さな旅(第2部)
南知多町(その1) 南知多町(その2) 南知多町(その3) 南知多町(その4・日間賀島) 南知多町(その5・篠島)
(その6・篠島) (その7) (その8) (その9) (その10) (その11)
藤井四冠棋士に沸く瀬戸市と瀬戸蔵ミュージアム
「日本遺産のまち瀬戸市」
「パルテイー瀬戸」(名鉄瀬戸線・尾張瀬戸駅前)。
パルテイー瀬戸(名鉄瀬戸線・尾張瀬戸駅前)。
せともの人形拡大。
「パルテイー瀬戸」内掲示。
現在の外堀(本町橋)。この外堀を瀬戸電が西区景雲橋の東たもと、堀川駅まで運行されていました。
西区景雲橋の東たもと、堀川駅跡2021.11.27日撮影。
西区景雲橋の東たもと、堀川駅跡2021.11.27日撮影。
藤井四冠棋士に沸く瀬戸市と瀬戸蔵ミュージアム・第1部
第2部
第3部
第4部
陶祖公園入り口(上右)及び六角堂正面(上左)。
説明文拡大
陶祖公園入り口
公園入り口の門柱、階段の各段壁面がすべて陶器製でさすが陶都瀬戸の面目躍如です。下は公園前の瀬戸川に
架かる橋の欄干に嵌め込まれた鳥を描いた陶板(3柄)。
六角堂内部の六角陶碑(高さ4.1m,日本最大級陶製六角碑)および説明文。
六角陶碑を拡大したもので上下2枚の繋ぎ部分が重複しています。
六角陶碑の建設に尽力した加藤清助景登翁の顕彰碑。
竹露庵。陶祖公園内。
陶祖之像(上)および陶祖碑の由来。
定光寺と愛知高原 国定公園(瀬戸市)その1 国定公園(瀬戸市)その2
瀬戸市(その1) 瀬戸市(その2) 瀬戸市(その3) 瀬戸市(その4) 瀬戸市(その5) 瀬戸市(その6)
愛知・38市史跡・社寺めぐりー常滑市
土管坂の案内場所で撮ったものです「常滑やきもの散歩道」Aコースが表示されています。
瀧田家下のポケットパーク休憩所には一時期日本をリードした常滑市出身の
有名人:谷川徹三氏(哲学者)。盛田昭夫氏(ソニー創業者)。平岩外四氏
(経団連会長)。伊奈長三郎氏(伊奈製陶創業者)。山田常山氏(陶芸家、
人間国宝)などの肖像写真が展示されています。
土管坂。
登窯の内部と10本の煙突(右端)。
登窯
北山橋たもとの巨大「とこにゃん」まねき猫(左)。レンガで造られた煙突(右)。
「とこにゃん」まねき猫
常滑市:名所史跡・社寺めぐり
信長の姪・おごう16歳で大野城主佐治家へお興し入り
常滑市(その1)
常滑市(その2)
常滑市(その3)
常滑市(その4)
常滑市(その5)
常滑市(その6)
常滑市(その7)
伊勢湾口・鬼崎漁港(常滑市)・豊浜漁港
常滑市(その8・大野海水浴場)
国重要文化財・船頭平閘門。(日本版:パナマ運河)・愛西市
葛木観光船のり場。16人乗りですが下段の国重要文化財・船頭平閘門が体験できます
葛木観光船のり場
国重要文化財・船頭平閘門。左が木曾川側閘門と閘室。中は標識のある長良川側の閘門上。
右は長良川へ出る水路。
船頭平閘門
ちょうど運良く閘門を通過する小船に出会いました。右は木曾川側で水位の調整(閘室)
を待っているところ。左は足元の長良川閘門を通り長良川側へ抜けるところです。待つ
時間と通行料を払うなら河口まで回って行った方がと質問したら河口まで13キロ余、
しかも無料ですといわれ、驚きと運営する組織(国)に感銘を受けました。明治35年
以来約114年間、日本のパナマ運河として今もご覧の漁船、レジャーボートが無料で
往来する国重要文化財です。
治水の恩人「ヨハネス・デ・レーケ」の銅像と閘門の説明図。
保存館前の説明板拡大。
大通寺の案内板。大通寺北の医王寺には武田勝頼の本陣址があります。
写真左は長篠城を眼下に見下ろす大通寺。右は大通寺本堂。
大通寺境内の盃井戸。
鳥居強右衛門磔死の碑(左)。下記長篠城跡の対岸にあります。
案内板拡大
鳥居強右衛門磔死の碑。
鳥居強右衛門36歳、叡智と決断は長く歴史のページに輝いています。
新昌寺。
説明文拡大
2017.11.7撮影。
新昌寺の鳥居強右衛門の墓苑(上左)。上右は戦国の陣没将死の墓苑。下は新昌寺。
新昌寺境内の「戦国の陣没将死の墓苑」。
鳥居強右衛門勝商上陸の地。「廣瀬渡鳥居勝商上陸0」と刻まれた石碑(拡大右端)。
関連:鳥居強右衛門磔死の碑。関連:鳥居強右衛門勝商の墓苑・新昌寺の。
鳥居強右衛門勝商上陸の地
廣瀬の渡舟場跡(上)。下は右が鳥居強右衛門勝商上陸の地、豊川沿いに西へ約100m。下左が下段の
「奇襲隊・・・」案内板へ東約100m。
甘泉寺。
甘泉寺
甘泉寺境内鳥居強右衛門勝商之墓所。向かって左に作手出身の夫人の墓碑が並べられています。
説明板拡大
織田信長自ら葬ったとされます。
甘泉寺境内国指定天然記念物「コウヤマキ」。
甘泉寺駐車場に建つ案内板。
説明文拡大
鳳来寺、長篠城・設楽原古戦場 設楽が原古戦場と新城市 史跡あふれる新城市の旅(第三回目)
新城市:史跡・社寺めぐり医王寺〜満光寺 新城市:設楽が原古戦場 新城市南部:史跡社寺めぐり
尾崎士郎記念館、右は吉良図書館前の尾崎士郎モニュメントの碑文。左は豪農・豪商の糟谷邸
糟谷家は代々縫右衛門を名乗り、吉良の大地主として三河木綿問屋、金融業、肥料、日用雑貨
の卸小売で財をなし、主屋と長屋門、土蔵2棟、屋敷神が県指定文化財となっています。
尾崎士郎記念館入館案内
尾崎士郎記念館、旧糟谷邸
金蓮寺の国宝弥陀堂(左)。右:本堂。
金蓮寺境内の大般若経堂。その3参照
吉良町出身、尾ア士郎作の小説「人生劇場」の碑(左端)。梶島を見下ろす絶景の
場所(右)に建っています。作品主人公の青成飄吉が吉良から上京し早稲田大学に入
学。青春篇は吉良を舞台にしており、碑はこよなく愛した吉良の海に向かって建てら
れています。写真中は同場所に建っている尾ア士郎作詩「吉良小唄」の碑文です。
尾ア士郎作の小説「人生劇場」の碑前のポケットパーク。
尾崎士郎「人生劇場」の場所
左:尾崎士郎「人生劇場」碑前から梶島を撮る。右:吉良温泉を望む。
右写真撮影場所
「人生劇場」の碑前のポケットパークから梶島を撮る
西尾市
西尾市・社寺めぐり
幡豆海岸車窓風景
西尾市・史跡、社寺めぐり2部
西尾市・幡豆町〜
吉良町めぐり
下は島の駅前の名古屋城築城の石。関連:名古屋築城・石切り場所跡。
清正公の築城の石
歌碑公園展望台から松島を撮る(上)。下は同台から海岸線を撮影。
歌碑と掲示板。
日間賀島〜篠島 小さな旅(第1部) 日間賀島〜篠島 小さな旅(第2部)
池周辺には梅が25種類5800本が咲き競い三月中旬までご覧いただけます
第29回佐布里池(そうりいけ)
梅まつり第1部
第2部
第3部
第4部
京都・祇園祭山鉾巡行。2019.7.17撮影。
祇園祭山鉾巡行第1部
第2部
第3部
第4部
第5部
第6部
京都の秋・東福寺 永観堂2009年 京都の秋・平等院 東福寺→ねねの道
画像をクリックして下さい。
地球
のコラボにより地球をクリックで自由に操作,
愛知のてっぺん豊根村
即座に飛んで行けます。南極大陸(昭和基地)も北極のすばらしさも手に取るように
ご覧いただけます。地球が出ましたら左上の「googleマップを検索する」に住所
又は件名を日本語で入力してください。
ブルー・サンビーチ海岸風景。2020,6.20撮影。
新舞子マリンパークの小さな旅
第1部169
第2部
第3部
唐人お吉出生地(生家跡)。本名は斉藤きち。
説明文拡大
唐人お吉出生地/西岸寺
内海海岸(日本渚百選
に選出) 世界屈指の砂粒が細かい風紋鮮やか
内海の海岸に建つお吉の立像。
台座に刻まれた碑文拡大
。
お吉物語
「戦評の松」前の案内板。
桶狭間古戦場公園内の銅像。右:今川義元公(42歳)。左:織田信長公(27歳)。徳川家康公・桶狭間の戦いの2日前16年ぶりに
母親・於大と涙の再会
坂部城があった城山公園。永禄3年(1560年)元康(後の家康)は桶狭間合戦2日前の
5月17日知立から敵陣の阿久比へ駆けつけ於大と16年ぶりに涙の再会を果たしました。
坂部城跡
坂部城跡。
説明文拡大
坂部城跡から岡崎城方面(左)を眺めながら、日夜、わが子家康の成長を祈り、暖かい送り物を届
けていたという。
八剱神社境内の村木砦址。砦を築くために今川方は村人を多く動員しましたが、
戦は村人を2分することになりました。今川方に味方した村人は勝った信長の命で
多く処刑されました。この犠牲者の供養が毎年行われているのです。村人にとって
今川方か信長・水野方かどちらが勝利しても、村を維持して行かねばなりません。
犠牲者の供養は生き残った者には当然だったに違いありません。戦いのあった1554年
(天文23年)から460年たっても、法要が続くことに村人の信仰心の深さを思うとともに
、村全体をも巻き込む壮絶な戦いであったことを改めて考えます。また、村木砦の戦
いを現在に伝える大切な行事を、これからも守っていきたいと考えます。(信長公記の
史料に匹敵するようなこと)。以上東浦町観光協会案内引用。
織田信長重臣・明智光秀の誕生地を訪ねる小さな旅
明智光秀画像 [説明] 岸和田市 本徳寺所蔵 慶長18年(1613年)賛 絹本著色
フリー百科事典より出稿。
明智光秀
明智軍記
本城惣右衛門覚書
「永保寺庭園・無際橋」を開山堂前付近から撮る。
国宝2棟の永保寺(多治見市)を拝観する小さな旅第1部
第2部
第3部
紅葉の永保寺を拝観・第1部 紅葉の永保寺を拝観・第2部1465
4,主翼の真下で食事です。
東海道旅道中(由比宿) |
蓬莱橋:大井川川越し遺跡。 |
関が原古戦場跡1 2 |
鈴鹿峠(その1) 鈴鹿峠(その2) |
美濃街道・墨俣宿 |
東海道・関宿 |
国宝犬山城・ 城下町を訪ねて |
名物干瓢を一家で作る |
大坂城朝の外堀風景 |
太田宿・日本ライン | 八瀬沢から大井宿まで | 落合宿 |
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男滝・女滝は吉川英治著 「宮本武蔵」 の舞台 |
妻籠宿から馬籠宿を歩く。 |
木曽の桟(かけはし) |